2011年12月19日

わたしのとっておき(エポカ91号)書評「もの食う人びと」

「もの食う人びと」表紙「もの食う人びと」
   著  辺見庸
   発行 共同通信社
   価格 1500円

 著者・辺見の文のうまさに、私はまず酔いしれる。新聞記者だっただけに、ぜい肉のつかないリズム感ある文。なんと心地いいんだろう。私は、辺見の文に恋している!
 が、本の内容は「きつい」。食い放題・飲み放題、食いたいものを腹いっぱい食う、季節感もなく。そういった飽食・贅沢三昧の日本に身をおいて、この本を読む。ひもじさに耐え生きるために、食えると思えるものは何でも食う人びと。「食べる」ではなく、「食う」「食らう」である。
 辺見は、食が生と死に直結する国・場所を旅し、もの食う風景に出合い、人びとと共に同じものを食い、飲む。時には酸っぱい残飯を食らい悲鳴をあげ、時には刑務所で囚人食を食い喉につまらせる。「死ぬほどうまい!」と叫びたくなるような味にも出合っている。
 3月、東日本大震災のため福島第1原発で放射能漏れがあった。辺見は、1986年に事故を起こしたチェルノブイリ原発の地へ8年後に出かけ、原発から2キロ、20キロ圏内の人びとと出会い、食っている。福島とは状況が違うだろうが、なんとも生々しい内容に、心がキュッと縮こまってくる。
 しかし、なんとまあ好奇心が旺盛だろう。紛争地であろうと未開地であろうと、珍しい食いものがあると聞くと出かけ、食っている。その食いものを、私はきっと食えないだろうと思いつつ、うらやましく読んでいる。人はもの食う器官だとつくづく思う。人は生きるために、生きているものを殺し食う。だから、すべて食いつくしてあげたい。野菜なら皮も葉っぱも。肉なら骨までしゃぶりつくさなくては。
 飽食の時代がいつか飢餓の時代に代わっていくだろう。未来の空腹の時代に、人はどう胃袋を満たしていくのか。答えは、この本の中にあるような気がする。
                               (あざれあ交流会議理事 大國 田鶴子)
  


Posted by あざれあ理事 at 15:36Comments(0)わたしのとっておき(書評)